3/3地下鉄サリン公判(証人:平田信、T・K)②

証人:T・K
遮蔽板あり、名前も伏せる

1988年前半に入信、1989年2月出家
省庁制以前は土谷さんと勧誘のワーク
以後は自治省で運転手
松本智津夫さんの送迎」
1993-94年頃に毒物を作るワークで土谷の手伝い
土谷と中川が選んだ4人固定メンバーの一人
土谷はそのワークを研究と行っていた
サリンの隠語として「サンちゃん」と言っていたが、自分はサリンと分かっていた
作業はクシティガルバ棟、元教祖の部屋
自分は第七サティアンのプラント建設にも関わった
その他、土谷が作ったダミー薬品会社の手伝い
これがサリン製造のためと知っていた

1995/3/19 第10サティアンにて東京まで運転してほしいと依頼を受けた
上九から今川の家に着き、林泰男が路線図を広げてペアを発表した
ペアは事前に決まっていたと思う
自分は広瀬とペアになった
何をするかの説明はなかった
何をするのか聞かないのは暗黙の了解
普段から運転の行き先などは聞かない

今川に着いたあと、自分と杉本は車で休んでいた
林泰男が杉本にホテルを探すよう依頼した
その後自分と杉本、広瀬、横山で下見に行った
四谷駅からお茶の水駅へ
お茶の水にて、上九へ「今日は武道を子供に教えられない」と連絡を入れた
その後、今川の家に戻った
みんな寡黙な人間なので、とくに会話などなかった
自分はこたつ部屋の隣の部屋で仮眠
その頃の平均睡眠時間は4時間くらい
杉本から「平田とTはすぐ帰ってくれ」と言われた
その時、仮眠していた4.5畳の部屋には自分だけだった

帰るために、乗って行く車の荷物を別の車に移して、こたつ部屋戻った
井上と平田が待っていて、火炎瓶について話があり、実行した

上九から今川に移動した際は、前の車についていった
自分の車には、平田も含めて今川の家の場所を知らない人しかいなかった
今川の家に入った時は山形明を見たが、その後今川では見ていない
なにをやるんだろう、と思いましたね。聞けばよかったですね。
自分は日頃は残務整理をしていた
今回は強制捜査に関わるワークだと思った
具体的には?
何と思ってたんですかね、サリンは無理だと思っていたんですよね
当時はCHSについても知らなかった

下見に行った時点で、操作撹乱の意識があったか?
もうわからない、あった気もする
車があるのに地下鉄って、変だと思わなかった?
聞けばよかったですね
ワークは修行の一環
何のために送迎するかは聞いてはいけなかった
被告人とは1989年から選挙に出馬するまでの一年間、車両省で一緒だった

上九から今川へ行く時、2台の車はそれぞれ自分と杉本が運転した
自分は諜報省についても知らず、井上についてはそれなりのステージの人という認識だった

よからぬことをするのではという認識はあった
教団が非合法活動をしていることは知っていたが、聞かない方がいいっていうのが共通認識だった

〜〜〜〜〜終了〜〜〜〜〜

最後に弁護人から麻原の証人出廷
公判前手続きで出廷の必要性なしと決まったが、必要性が高まった
井上はリムジンに乗り込んだのは指紋除去についての相談のためで、謀議のためではないと言っているが、林郁夫などは指紋除去についてリムジン以前に決まっていたと証言している
井上は嘘をついて、サリン事件についてはむしろ止めたのだと主張している
また、麻原の自室での井上、村井、麻原の会話は、共謀の経緯について重要
これで終わってしまうのは間違っている
是非とも、市民の代表の裁判員とともに、再度検討していただきたい