3/24被告人質問①

 

<仮谷事件について>


上九に到着し、第二サティアンに男性を寝かせた後、自分は車の中で寝た
サティアンでは、中川・HS・林郁夫を見かけた
数時間後、中川に起こされた
明け方早く、5時前後だったと思う
中川「男性が亡くなってしまった」
その時、初めて体験した自分の、なんていうんでしょう、死んだという意味はわかるが、頭の中が空白になってしまったような感じ
だんだん理解できて、何で死んでしまったんだろうと思った
その後、男性のいる部屋へ行った
男性は運び込んだ時と同じ状態で布団に寝ていた
連れてくる手伝いをするのだと自分では思っていた
居場所を聞くことと亡くなってしまったことが結びつかない状況だった

その後、中川が「生きていることにして、IYに首を絞めさせる」と言った
自分は、男性が亡くなっただけでショックだったのに加えて、Iくんにどうしてそんなことをさせるんだという気持ちだった
中川の発言の後は、一種異様な雰囲気だった
その後IYが来て、誰かが指示をして首を絞めさせた
誰がIYに告げたかは覚えていない
首を絞めさせた後、醜悪とも言えるが、中川が脈がどうかとか目を見たりして、「亡くなった」言った
井上「焼却するのを手伝うように」と指示があり、自分・中村・中川・IYが装置のある地下へ行った
地下へ行くのはそれが初めてだった
地下には、ドラム缶や操作盤があった
遺体は布団のまま運んだ

中川がスイッチを入れ、その後見張りをした
交代しながら、二日くらい見張っていた
その作業の際、中川に質問をした
「仮谷さん事件ついては井上と中村が中心でやったと思うので、他の人の視点で聞きたい。これは本当に正しい方法だったのか?」ということを聞いた
中川「(自分の意見に対して)それはその通りだ」と言われた
どうしてこういう質問をしたのか?
いなくなってしまった信徒さんの居場所を知りたいだけで、それがこういう結果になってしまったこと、それゆえの質問だった
また、その前年に父親が亡くなっていて、体つきは違うが面影があり、イメージが重なっていた
教団の説法で、出家した子供が修行をすると親にもいい影響があると言われていたので、父が亡くなった後は自分の修行を進めようと思い瞑想をしていた

焼却作業が終了した後、今川へ移動した
どうやって居場所を聞くと思っていたのか?
「心配していることを告げて、知っているなら教えてほしい」と。
その時の自分のワークはどこまでだと思っていたのか?
上九に連れてくるくらいだと思っていた
ナルコという言葉を聞いたことがあるか?
ない
麻酔薬を用いて自白させる人がいることは知っていたか?
知らなかった
バルドーの悟りのイニシエーションは?
聞いたことがある
どういう人がそのイニシエーションを受けられるか知っていた?
基準は知らなかった
そのイニシエーションは誰がやっているか知っていた?
聞いたことがない
キリストのイニシエーションについては?
個室でジュースを飲んで行うイニシエーションで、受けたことがある
省庁制ができる前後だった
瞑想していると、色が見える等の視覚的な変化があった

事件後の井上への感情に変化はあったか?
まず、結局仮谷さんを無理やり連れてきたけれど、そのやり方はグルの意思しているところなのかと疑問に思った
つまり、居場所を聞くのが目的なわけで、ああいう形で連れてくるっていうのはちょっと意思しているのとは違うんじゃないかなと
レーザー銃を使うことは、グルの意思だと思った
それが効果がなかった時点で、やるべきではなかった
当時からそのように思っていた
また、父が死んだあとに今川で修行をしている際、井上から「そんな事をしてもしょうがないんだよ」と笑われたことがあり、ショックを受けた
井上のそういった態度には疑念を持っていた

事件後の井上との関係はどうだったか?
自分が疑念を持ったせいかもしれないが、ぎくしゃくしていた
井上に変化はあったか?
「運転はほかの人に頼むから休んでて」と言われるなど、多少の変化はあった
ほかの人とはだれか?
IYなど、CHSで運転免許を持っている人
あなた自身の変化は?
表面的には変わらなかったと思う
地下鉄サリンのあとは態度の変化があった

 

アタッシュケース事件について>

平成7年3月15日に霞が関駅にアタッシュケースが置かれた事件について
(起訴はされていない)

きっかけは井上からの指示だった
「ウイルスを撒くから付き合って」と言われた
ウイルスについての具体的な説明はなかった
ボツリヌストキシンとは聞いていない
この指示を受け、仮谷さんの件で強制捜査が入るのではないかと思った
霞が関の近くに行ったら、遠藤がいた
ちょっと大きめのアタッシュケース3つの中にウイルスを入れていた
車内で、スポイトで吸い上げてケースへ入れる作業をしていた
その際の服装は平服だった
自分はサラリーマン風の服装で、井上の指示の場所へアタッシュケースを置きに行った
酸素ボンベをコートの下に背負って、方から口に向かって酸素を送るような装置を身につけていた
ケースの置き場は、柱の近く、近くにはゴミ箱もあった
井上から、息を止めてスイッチを入れるように指示があったので、そうするように努力した
その後ホテルへ行ったあと、今川へ戻った
このウイルスについてどのように思っていたか?
教団の作ったものであり、また遠藤がマスクもなくスポイトで作業をしているのを見て、人が死んだり体調が悪くなるようなことはないと思っていた
バカらしくなった
その後の報道で何も被害がでなかったと知り、やっぱりなと思った

地下鉄サリン事件について>
1995/3/19昼ごろ、東名のどこかを運転していた
井上から「信徒から車の布施があるので取りに行って」という指示で動いていた
PM15時くらいに、港北のパーキングで休憩中ポケベルで連絡が入った
井上「ワークがあるから戻ってきてください」と言われた
夕方18時前後に今川に戻った
こたつの部屋を通りかかったとき、井上から運転のワークだと言われた
こたつ部屋には科学技術省の人間がいた
横山・豊田・広瀬・林泰男・平田信がいたと思う
運転のワークの指示を受けた際、井上の指示でさっきの信徒さんの仕事を早く切り上げたのに、なんだ運転か、と思った
井上「渋谷ホームズに連れて行ってほしい」と、鍵を受け取った
その後、車に人を乗せて、もう一台を誘導する感じで移動した
渋谷で北村・外崎・新実と偶然会った
PM7時ごろ、一緒にホームズへ入った
その時のメンバーは、林泰男・広瀬・横山・杉本・北村・新実・外崎・豊田・私だった
到着後、すこし休憩していた
部屋に入った際、小さい部屋に石川がいたと思う
その後、井上が渋谷ホームズに到着
その際、シャワーを浴びている人やズボンの裾を合わせている人がいた
林郁夫は初めはおらず、後から来た
だれかが迎えに行ったと思う
到着した井上は少し笑っていて、はしゃいでいた
そして、井上からペアの発表があった
自分は豊田とペアになった
8時に間に合うようにと指示があった

PM9~10時ころ、中目黒の下見と、恵比寿駅で待ち合わせ場所の確認をした
その後、渋谷ホームズへ戻った
井上から「杉本・北村・林泰男と信徒さんの車を取りに行って」と指示があった
車を取りに行って渋谷に戻ったのはPM11時くらい
休もうと思っていたが、林泰男に着信があり、「マンちゃんが戻って来いって言ってるんだよ」と林泰男がぼやいていた
また、誰かから「まだ車が足りていない。TMの車を借りてこい」と指示があったので、どうにかしてTMの車を取りに行って、戻った
渋谷ホームズに戻ったら、部屋がガランとしていた
残っていたのは、北村と新実だったと思う