4/24被告人質問②

その後はとりあえず渋谷ホームズで休んでいた
2時間ほどした後、上九に行っていた人(林泰男・林郁夫・広瀬・横山・外崎・杉本)が戻ってきた
その際、液体が入ったビニールの袋を見た
20×20cmくらいの大きさだった
水枕を透明にした感じの、タプタプしたものだった
色は紅茶かウィスキーのような感じ
個数は1つではなかった
素手で触っているのを見た
豊田が「みなさんサリンを取りに来てください」と言ったか?
言っていない
サリンという言葉は出ていない
傘を見たか?
見ていない
注射器は見たか?
見ていない

3/20の5時半ごろ、駐車場へ行き、車をマンションの前まで持ってきて、渋谷を出発した
出発したのは6時頃で、中目黒駅へ向かった
豊田の指示で、お店があったら停めるよう言われていたので、店に駐車した
豊田が新聞を買ってきた
人気のないところへ行くよう指示があった
後ろでカサカサと音がしていたので、新聞で何かしていると思った
自分は、人気のないところと言われていたので、外を見ていた
車内でビニール袋を見たか?
見ていないと思う
傘は見た?
車内では見ていない
7:30頃、豊田が中目黒駅で降りて行った
自分は気をつけていってらっしゃいの意味で「気をつけて」と言った
そこでビニールが先に気づいた
曇りの日だったが、傘については何も思わなかった

その後、自分は恵比寿へ移動した
恵比寿駅到着後、いつもの癖でシートを倒して休んでいた
豊田が帰ってきた
中目黒で出て行ってから1時間くらいだったと思う
戻ってくる際の様子は、特段変ったところはなかった
シートを起こし、少ししたら鼻水と涙が出てきた
自分が「何だろう」と言ったら、豊田が「足で踏んだ」と言った
何を踏んだかは言われていない
「ついてるんじゃないか?」と言ったか?
言っていない
運転中、咳はなかった
その日は慢性的に頭痛がしていた
痙攣はなかったが、耳鳴りは数年前からずっとあった
袋を踏んだのかな?何かついたかな?と思った
その後渋谷ホームズへ戻る際、ちょっと遠回りをした
いつもの癖で、来た道とは違う道を使ったことと、豊田から人のいないところと言われていたため
9時過ぎにホームズへ到着
その時はあまり人がいなかった
林郁夫がほかの人に注射をしているのを見た
自分が林郁夫に症状を言ったところ、林が自分の目を覗きこみ「これは打ったほうがいいな」と言った
その時自分は、そうなの?という感じだったが、お医者さんのいうことだからと注射を打ってもらった
中毒という言葉は出ていない
なんの注射かは分らなかった

渋谷ホームズで、井上が小さいポータブルのテレビを見ていた
井上がいつからいたかは不明
テレビを覗いたが、小さいからよく分らなかった
報道番組で、地下鉄で倒れている人がいるという内容だった
井上がニヤニヤしながら見ていた
嬉しそうな感じで、非常に違和感があったので覚えている
その場には林泰男もいた
ほかの人は凍りついたような表情だった
みんなでテレビを見たのは10分くらいだった
井上から「じゃあこれで解散してください」と言われた
自分は一番最後くらいに部屋を出た

豊田の撒いたサリンで人はたくさん死んだと知ったのはいつか?
事件の一週間後くらい
どう思ったか?
自分たちが関わった、豊田君が撒いたことでそんなに大ごとになっているんだなと
大変なことになっていると思った
全然予想していなかった
松本サリン事件が教団の犯行だと3/20の時点では知らなかった
地下鉄サリン事件後、松本の事件について考えなおしたか?
ひょっとしたら我々の誰かがやったのかなと疑念を抱いた
4月中旬ごろ、中川さんに聞いた
直接的には聞けないので、「ひょっとしたら松本もうちの誰かがやったのでは」と鎌をかけるような聞き方をした
中川が言いよどんだので、それが答えだと思った
それ以上は聞かなかった

麻原の説法でサリンという言葉が出たのは1992~93年頃
教団が攻撃されているという文脈で出てきた
それを信じたか?
まぁ、グルの説法に疑念を持つのはよくなかったので
にわかに信じられないというか、不明な点があったので、全面的には信じていなかった
その後、信者の中で「喉から血が出た」「シャワーのお湯にふれて大やけど」という話を聞き、サリン攻撃に類するものだと理解していた
平成5年1月1日の読売新聞を読んでどう思ったか?
教団が生成しているとは考えなかった
造っているという情報に触れたことがなかったし、作れないだろうと思った

3月22日の一斉捜索
その日は今川にいた
井上「今川も引き払おう」と言って、数日間秩父へ行った
その際のメンバーは井上・IY・山形・HS・林泰男だった
その後、長瀞に行き、川越のウィークリーマンションへ移った
川越では人が増え、科学技術省のメンバー(WK・豊田・横山)が加わっていた
川越には1週間以上いた
井上から毛呂山のウィークリーマンションに戻るよう指示があり、戻った
そこではTG・山形と一緒だった

逃走している間、見られたらまずい電気部品や薬品は破棄することになった
井上の指示で、電気部品はカバンに入れ、埼玉の湖に沈めた
科学技術省のメンバーと林泰男・北村もいたと思う
薬品は日光に埋めた
指示は井上、現場指示な中川だった
自分は穴を掘る作業をした

毛呂山以降どうして井上と別々だったのか?
そういう指示だったこと、また自分が離れていたい気持ちもあった
自分自身疲れていたし、彼のそばにいると色々しなければいけないため
疑念の程度は?
どちらかというと、徐々に大きくなっていった
出す指示の内容が、グルの意思を正確には反映していないと感じた
指示を自信満々に出すが、根拠がなかったりということがあった
自分に対する態度は、運転を別の人にお願いするなど、言葉には出さないが使いづらそうだった
自分はサリン事件の後虚脱感があり、精神的に疲弊していた
葛藤があったから精神的に疲れた
この疑念について人に言ったか?死にたいと言ったか?
死んでもいいとは思っていた
山形くんには言ったかもしれない

毛呂山に一週間滞在した後、4月下旬に永福のアパートに移った
そこには林泰男がいた
北村・YZも住むようになった
永福のアパートでは、4.5畳か6畳の部屋に一人で住んでいた
基本的には何もせず、必要があれば外出をしていた
井上は西荻か八王子にいたと思う