3/23被告人質問①

3/23被告人質問

 

証言台に立ち、被害者ご遺族に一礼

 

名前を言ってください

高橋克也です

今何才ですか?

56歳です


父親について
真面目だったと思う。口数は多くないけど、理解されている感じがした。
母親について
ちょっと一言では
ただ結構明るいかもしれない
両親は?
亡くなりました。
父は平成6年12月12日
母は2011年9月15日
どちらの葬儀も行っていない
兄弟は?
4歳年上の兄がいます
兄は九州の大学に進学。休みには帰って来た
大学卒行後は高校の教師をしていると思う
最後に兄と会ったのは?
30年以上前かも
あなたはどんな子供だった
外で遊ぶのも好き
一人で静かに本を読むのも好き

小学も中学も近くの公立
成績は中くらい。たまに2があって、4がある
好きなのは理科と技術(美術?)
普通の意味の友達はいた
中学時代の部活は柔道部だが、大会等で勝った記憶はない
中学時代には二級、最終的には二段

子供時代の楽しみは?
低学年のときはや野球と釣り
一方、本を読むのも好き
将来の夢は、具体的には持っていなかった

中学卒業後は、5年制の高専で電子工学を勉強
どうして高専に行ったのか?
1自分の成績で行けるところだった
2自分の中学からそこに行く人が多かった
3家族、特に兄が強く賛成した
3について、そのときは分からなかったけど、多分、悪くとれば、自分が20歳で卒業することになるので、学費面で負担がかからず、兄が気兼ねなく大学に行けるという気持ちがあったのでは。
兄は、学芸大学附属の小中へ
高校も附属に進学したかったが、出来ずに県立へ
大学は理科大に受かったが、一浪して鹿児島大学
院にも行っていると思う
学費は親が負担していた

一方あなたは?
はじめは考えなかったが、色々考えるうちに学びたいなあ、と
自分も学びたいと親に言ったら?
強く言っていたら、行けば?と言ってくれたのかもしれないけど、
その時は笑いながら、しょうがない、お前は次男だから、と
テツヤは長男だからと、何回となしに言われた
父の仕事や単身赴任も見ていて、あまり強くも言えないかな、と

将来のことは、高専の時は、はじめは技術系だろうなと
でも、子供の頃から発明品が好きで、テレビ番組も見ていた
特許関係の弁理士になりたいなと思った
調べてみたら、高専からでもいけるけど、予備試験というので、
大学卒より大変そうで諦めた
20歳で卒業し、家の近くの大森電機へ就職
三菱系で、オフィスコンピューターの調整などをしていた

会社には馴染めたか?
職種自体に馴染めなかった
職種が悪いわけではないが、決められたことをラインに沿ってするだけ
それでいいのかなあと。
やりがいがなかったという言い方もできる
人間関係には特に問題がなかった
当時は将来に関して積極的ではなかった
その職場を選んだ一番の理由は、家に近いから
一年後に転職
次の会社は、10数人の小さい会社
計測制御システムの開発をしていた

やりがいはあったか?
体力的にはきつかったけれど、得られる喜びも大きかった
はじめは必死だったから違和感は感じなかったが、人数が多いわけではないのに、派閥があることを感じ始めた
社長が、言うことを聞く人間を引っ張ってきたり、会議で忌憚なく発言してと言われたのに、意見を言ったら怒られることがあった
結局、社長がパートさんと浮気をして会社を放棄した
そのときに仕事の一部を持って行ってしまた

あなたの評価は?
動作の確実性やメンテナンスのしやすさを考えて仕事をしていたけれど、仕事が遅いとか君の給料では割に合わないんだ、と言われてしまうことがあった
ある時、大変な仕事を担当して月に150時間の残業でほぼ泊り込みになった
その仕事が終わった後、力が抜けてしまい、26,7歳で辞めた

そのあと、二つの職場で働いたが両方とも間違った選択だったのかもと思った
自分自身の根底の生き方に迷いが生じた
すぐに次の仕事を決めるのではなく、色んなことが知りたいと思い、本を読んだりしていた
実家ぐらしで、客観的に見ればなにもしていない、はたから見ればぶらぶらしている状況だった
読んだ本は、宗教関係、ヨーガ、本田宗一郎など

心の中でなにを求めていたのか?
一言で言うと、何かを成し遂げた人はどのようの考えていたのか、生き方を求めていた

はじめて宗教的なことに関心を持ったのは?
生と死について考えてはじめたのは、小学校3,4年のころ、近所のアパートに一人暮らしのおじいさんが住んでいた
近くに川と橋があって、ある日の夕方家に帰るときに、そのおじいさんが欄干に手をかけて辛そうにしていた
脚が痛そうだったが、自分と目があったときにニコっと微笑んだ
私はそのまま家に帰ってしまったんだけど、肩を貸してあげればよかったって子供のころに考えていた
そのおじいさんはその後自殺してしまった
子供だったんですね、ニコっと笑ったから大丈夫だと思ってしまった
今でも鮮明な記憶がある