3/24被告人質問③

逃走している間、30日に1回事件を起こすことや石油コンビナート、空気爆弾について聞いたことはない
林泰男は永福のアパートを出たり入ったりしていた
4月下旬~5月の初旬に、林泰男から「アーチャンが呼んでるよ、発火装置を作ってほしいって」と言われた
それに対して自分は「なんで俺なんだ、いまさら何をするんだ」という内容の発言をした
その時は、何もしたくなかったし、井上に対する懐疑的な感じもあった
林泰男には文句が言えたのか?
他部署だったため、部下上司という感じではなかったので、言うことができた
そしてブツクサ言いながら八王子へ行った
八王子へ行ったのはそれが初めてだった
八王子にて中川から「発火装置が必要なんだ」と聞かされた
中川と色々な打ち合わせをして、発火物の構造については自分でも検討することになった
その後、必要な部品を集めるため秋葉原に行った
そこで、半田ごて・グロープラグ・キースイッチ・電池等を購入した
その時点で、原理的な構造は決まっていた

林泰男から「手伝ってほしいことがある、喫茶店で待機していて」という指示があった
自分と北村で。新宿に紀伊国屋の裏の喫茶店に行った
30分~1時間ほど待機したあと、林泰男が来て「終わったからもういいや」と言われた
これが新宿青酸ガス事件に関係していたと後で知った

その後、中川と発火装置の話を詰めた
かなり具体的な話をした
その際、井上か中川から「開いたら発火するもの」という指示があった
自分は意見を述べておらず、電気系統の部分を担当した
永福にて林泰男から本を受け取り、本の中をくりぬいた
その後八王子へ行き、中川に見せた

5月上旬ごろ、2つの伝言を受けた
①この先何が起こっても動揺しないように
②有能神が怒っている
というものだった
②の伝言については、グルの意思を実践せよと解釈すると誰かから教えられた
発火装置もグルの意思だったと思っている

爆薬は中川の担当だった
中川が粉のようなものを温めていた半田ごてにパラパラと垂らしたら、パチパチと爆ぜた
その粉がRDXだと聞いたような気もするし、聞いていない気もする
軍用だという話は聞いていない
火薬であるという理解はあった
発火装置について、絶縁体には紙よりも絶縁性が高い折れるストローを使った

グロープラグについては、マッチの頭の赤いところを砕いて実験をした
中川に見せに行き、「それでいい」と言われた
中川はマッチの替わりの物を考えていて、それを本番用プラグに詰めた
RDXと聞いた気がするが、それが何かは聞いていない
なんでマッチじゃないものを使うのかの理由も聞いていない
ケースは普通のクリップとかヘアピンが入るケース
粉はケースの半分くらいしか入っていなかった
大さじ1杯くらいの量だった
半田ごてで実験した際のパチパチの程度は、子供のころマッチの赤い部分も黒い所に押しつけてクルっと回すいたずらをよくしていたが、その程度
やけどの可能性はあるかなと思った
中川から「鉛の粒を入れたら人が死ぬかも。アーナンダ師は入れたらいいって言ってるけど、どうする?」と言われた
しばらく考えて、「それはやめよう」と言った
騒ぎを起こせばいいと思っていたため、それがグルの意思であれば人は死なないほうがいいと思った
この気持ちが決定的になったのは、井上が入れようと言ったこと
朝打ち合わせをして、動作確認をしながら15時くらいには完成した
どうしてそんなに動作確認をしたのか?マンションで爆竹の音がしたら通報されそうだと思ったため
けがくらいはあっても、人が死ぬとは思っていなかった
完成後、井上から「出してきてよ」と言われた
自分は「マズいものを持っているから」といって断った
マズいものとは、グロープラグや工具など
カバンが工具でいっぱいだった
また、多少の反発心もあったかもしれない
そのかわりに切手を買ってくることを申し出て、中川か井上に渡した
仕事が終わった後、永福に戻った

永福に戻ったとき、グルが逮捕されたというニュースが放送されていた
みんなで見ていたが、誰も言葉を発しなかった
その1時間ほどあと、都庁で爆破のテロップが流れた
事件のことに加えて、自分たちのやったことが何の役にも立たなかったという二重の衝撃があった
その数日後に、事件の怪我について知った
一言では言えないが、ひどくショックだった
予想外の威力があったなと思った

4/24被告人質問②

その後はとりあえず渋谷ホームズで休んでいた
2時間ほどした後、上九に行っていた人(林泰男・林郁夫・広瀬・横山・外崎・杉本)が戻ってきた
その際、液体が入ったビニールの袋を見た
20×20cmくらいの大きさだった
水枕を透明にした感じの、タプタプしたものだった
色は紅茶かウィスキーのような感じ
個数は1つではなかった
素手で触っているのを見た
豊田が「みなさんサリンを取りに来てください」と言ったか?
言っていない
サリンという言葉は出ていない
傘を見たか?
見ていない
注射器は見たか?
見ていない

3/20の5時半ごろ、駐車場へ行き、車をマンションの前まで持ってきて、渋谷を出発した
出発したのは6時頃で、中目黒駅へ向かった
豊田の指示で、お店があったら停めるよう言われていたので、店に駐車した
豊田が新聞を買ってきた
人気のないところへ行くよう指示があった
後ろでカサカサと音がしていたので、新聞で何かしていると思った
自分は、人気のないところと言われていたので、外を見ていた
車内でビニール袋を見たか?
見ていないと思う
傘は見た?
車内では見ていない
7:30頃、豊田が中目黒駅で降りて行った
自分は気をつけていってらっしゃいの意味で「気をつけて」と言った
そこでビニールが先に気づいた
曇りの日だったが、傘については何も思わなかった

その後、自分は恵比寿へ移動した
恵比寿駅到着後、いつもの癖でシートを倒して休んでいた
豊田が帰ってきた
中目黒で出て行ってから1時間くらいだったと思う
戻ってくる際の様子は、特段変ったところはなかった
シートを起こし、少ししたら鼻水と涙が出てきた
自分が「何だろう」と言ったら、豊田が「足で踏んだ」と言った
何を踏んだかは言われていない
「ついてるんじゃないか?」と言ったか?
言っていない
運転中、咳はなかった
その日は慢性的に頭痛がしていた
痙攣はなかったが、耳鳴りは数年前からずっとあった
袋を踏んだのかな?何かついたかな?と思った
その後渋谷ホームズへ戻る際、ちょっと遠回りをした
いつもの癖で、来た道とは違う道を使ったことと、豊田から人のいないところと言われていたため
9時過ぎにホームズへ到着
その時はあまり人がいなかった
林郁夫がほかの人に注射をしているのを見た
自分が林郁夫に症状を言ったところ、林が自分の目を覗きこみ「これは打ったほうがいいな」と言った
その時自分は、そうなの?という感じだったが、お医者さんのいうことだからと注射を打ってもらった
中毒という言葉は出ていない
なんの注射かは分らなかった

渋谷ホームズで、井上が小さいポータブルのテレビを見ていた
井上がいつからいたかは不明
テレビを覗いたが、小さいからよく分らなかった
報道番組で、地下鉄で倒れている人がいるという内容だった
井上がニヤニヤしながら見ていた
嬉しそうな感じで、非常に違和感があったので覚えている
その場には林泰男もいた
ほかの人は凍りついたような表情だった
みんなでテレビを見たのは10分くらいだった
井上から「じゃあこれで解散してください」と言われた
自分は一番最後くらいに部屋を出た

豊田の撒いたサリンで人はたくさん死んだと知ったのはいつか?
事件の一週間後くらい
どう思ったか?
自分たちが関わった、豊田君が撒いたことでそんなに大ごとになっているんだなと
大変なことになっていると思った
全然予想していなかった
松本サリン事件が教団の犯行だと3/20の時点では知らなかった
地下鉄サリン事件後、松本の事件について考えなおしたか?
ひょっとしたら我々の誰かがやったのかなと疑念を抱いた
4月中旬ごろ、中川さんに聞いた
直接的には聞けないので、「ひょっとしたら松本もうちの誰かがやったのでは」と鎌をかけるような聞き方をした
中川が言いよどんだので、それが答えだと思った
それ以上は聞かなかった

麻原の説法でサリンという言葉が出たのは1992~93年頃
教団が攻撃されているという文脈で出てきた
それを信じたか?
まぁ、グルの説法に疑念を持つのはよくなかったので
にわかに信じられないというか、不明な点があったので、全面的には信じていなかった
その後、信者の中で「喉から血が出た」「シャワーのお湯にふれて大やけど」という話を聞き、サリン攻撃に類するものだと理解していた
平成5年1月1日の読売新聞を読んでどう思ったか?
教団が生成しているとは考えなかった
造っているという情報に触れたことがなかったし、作れないだろうと思った

3月22日の一斉捜索
その日は今川にいた
井上「今川も引き払おう」と言って、数日間秩父へ行った
その際のメンバーは井上・IY・山形・HS・林泰男だった
その後、長瀞に行き、川越のウィークリーマンションへ移った
川越では人が増え、科学技術省のメンバー(WK・豊田・横山)が加わっていた
川越には1週間以上いた
井上から毛呂山のウィークリーマンションに戻るよう指示があり、戻った
そこではTG・山形と一緒だった

逃走している間、見られたらまずい電気部品や薬品は破棄することになった
井上の指示で、電気部品はカバンに入れ、埼玉の湖に沈めた
科学技術省のメンバーと林泰男・北村もいたと思う
薬品は日光に埋めた
指示は井上、現場指示な中川だった
自分は穴を掘る作業をした

毛呂山以降どうして井上と別々だったのか?
そういう指示だったこと、また自分が離れていたい気持ちもあった
自分自身疲れていたし、彼のそばにいると色々しなければいけないため
疑念の程度は?
どちらかというと、徐々に大きくなっていった
出す指示の内容が、グルの意思を正確には反映していないと感じた
指示を自信満々に出すが、根拠がなかったりということがあった
自分に対する態度は、運転を別の人にお願いするなど、言葉には出さないが使いづらそうだった
自分はサリン事件の後虚脱感があり、精神的に疲弊していた
葛藤があったから精神的に疲れた
この疑念について人に言ったか?死にたいと言ったか?
死んでもいいとは思っていた
山形くんには言ったかもしれない

毛呂山に一週間滞在した後、4月下旬に永福のアパートに移った
そこには林泰男がいた
北村・YZも住むようになった
永福のアパートでは、4.5畳か6畳の部屋に一人で住んでいた
基本的には何もせず、必要があれば外出をしていた
井上は西荻か八王子にいたと思う

3/24被告人質問①

 

<仮谷事件について>


上九に到着し、第二サティアンに男性を寝かせた後、自分は車の中で寝た
サティアンでは、中川・HS・林郁夫を見かけた
数時間後、中川に起こされた
明け方早く、5時前後だったと思う
中川「男性が亡くなってしまった」
その時、初めて体験した自分の、なんていうんでしょう、死んだという意味はわかるが、頭の中が空白になってしまったような感じ
だんだん理解できて、何で死んでしまったんだろうと思った
その後、男性のいる部屋へ行った
男性は運び込んだ時と同じ状態で布団に寝ていた
連れてくる手伝いをするのだと自分では思っていた
居場所を聞くことと亡くなってしまったことが結びつかない状況だった

その後、中川が「生きていることにして、IYに首を絞めさせる」と言った
自分は、男性が亡くなっただけでショックだったのに加えて、Iくんにどうしてそんなことをさせるんだという気持ちだった
中川の発言の後は、一種異様な雰囲気だった
その後IYが来て、誰かが指示をして首を絞めさせた
誰がIYに告げたかは覚えていない
首を絞めさせた後、醜悪とも言えるが、中川が脈がどうかとか目を見たりして、「亡くなった」言った
井上「焼却するのを手伝うように」と指示があり、自分・中村・中川・IYが装置のある地下へ行った
地下へ行くのはそれが初めてだった
地下には、ドラム缶や操作盤があった
遺体は布団のまま運んだ

中川がスイッチを入れ、その後見張りをした
交代しながら、二日くらい見張っていた
その作業の際、中川に質問をした
「仮谷さん事件ついては井上と中村が中心でやったと思うので、他の人の視点で聞きたい。これは本当に正しい方法だったのか?」ということを聞いた
中川「(自分の意見に対して)それはその通りだ」と言われた
どうしてこういう質問をしたのか?
いなくなってしまった信徒さんの居場所を知りたいだけで、それがこういう結果になってしまったこと、それゆえの質問だった
また、その前年に父親が亡くなっていて、体つきは違うが面影があり、イメージが重なっていた
教団の説法で、出家した子供が修行をすると親にもいい影響があると言われていたので、父が亡くなった後は自分の修行を進めようと思い瞑想をしていた

焼却作業が終了した後、今川へ移動した
どうやって居場所を聞くと思っていたのか?
「心配していることを告げて、知っているなら教えてほしい」と。
その時の自分のワークはどこまでだと思っていたのか?
上九に連れてくるくらいだと思っていた
ナルコという言葉を聞いたことがあるか?
ない
麻酔薬を用いて自白させる人がいることは知っていたか?
知らなかった
バルドーの悟りのイニシエーションは?
聞いたことがある
どういう人がそのイニシエーションを受けられるか知っていた?
基準は知らなかった
そのイニシエーションは誰がやっているか知っていた?
聞いたことがない
キリストのイニシエーションについては?
個室でジュースを飲んで行うイニシエーションで、受けたことがある
省庁制ができる前後だった
瞑想していると、色が見える等の視覚的な変化があった

事件後の井上への感情に変化はあったか?
まず、結局仮谷さんを無理やり連れてきたけれど、そのやり方はグルの意思しているところなのかと疑問に思った
つまり、居場所を聞くのが目的なわけで、ああいう形で連れてくるっていうのはちょっと意思しているのとは違うんじゃないかなと
レーザー銃を使うことは、グルの意思だと思った
それが効果がなかった時点で、やるべきではなかった
当時からそのように思っていた
また、父が死んだあとに今川で修行をしている際、井上から「そんな事をしてもしょうがないんだよ」と笑われたことがあり、ショックを受けた
井上のそういった態度には疑念を持っていた

事件後の井上との関係はどうだったか?
自分が疑念を持ったせいかもしれないが、ぎくしゃくしていた
井上に変化はあったか?
「運転はほかの人に頼むから休んでて」と言われるなど、多少の変化はあった
ほかの人とはだれか?
IYなど、CHSで運転免許を持っている人
あなた自身の変化は?
表面的には変わらなかったと思う
地下鉄サリンのあとは態度の変化があった

 

アタッシュケース事件について>

平成7年3月15日に霞が関駅にアタッシュケースが置かれた事件について
(起訴はされていない)

きっかけは井上からの指示だった
「ウイルスを撒くから付き合って」と言われた
ウイルスについての具体的な説明はなかった
ボツリヌストキシンとは聞いていない
この指示を受け、仮谷さんの件で強制捜査が入るのではないかと思った
霞が関の近くに行ったら、遠藤がいた
ちょっと大きめのアタッシュケース3つの中にウイルスを入れていた
車内で、スポイトで吸い上げてケースへ入れる作業をしていた
その際の服装は平服だった
自分はサラリーマン風の服装で、井上の指示の場所へアタッシュケースを置きに行った
酸素ボンベをコートの下に背負って、方から口に向かって酸素を送るような装置を身につけていた
ケースの置き場は、柱の近く、近くにはゴミ箱もあった
井上から、息を止めてスイッチを入れるように指示があったので、そうするように努力した
その後ホテルへ行ったあと、今川へ戻った
このウイルスについてどのように思っていたか?
教団の作ったものであり、また遠藤がマスクもなくスポイトで作業をしているのを見て、人が死んだり体調が悪くなるようなことはないと思っていた
バカらしくなった
その後の報道で何も被害がでなかったと知り、やっぱりなと思った

地下鉄サリン事件について>
1995/3/19昼ごろ、東名のどこかを運転していた
井上から「信徒から車の布施があるので取りに行って」という指示で動いていた
PM15時くらいに、港北のパーキングで休憩中ポケベルで連絡が入った
井上「ワークがあるから戻ってきてください」と言われた
夕方18時前後に今川に戻った
こたつの部屋を通りかかったとき、井上から運転のワークだと言われた
こたつ部屋には科学技術省の人間がいた
横山・豊田・広瀬・林泰男・平田信がいたと思う
運転のワークの指示を受けた際、井上の指示でさっきの信徒さんの仕事を早く切り上げたのに、なんだ運転か、と思った
井上「渋谷ホームズに連れて行ってほしい」と、鍵を受け取った
その後、車に人を乗せて、もう一台を誘導する感じで移動した
渋谷で北村・外崎・新実と偶然会った
PM7時ごろ、一緒にホームズへ入った
その時のメンバーは、林泰男・広瀬・横山・杉本・北村・新実・外崎・豊田・私だった
到着後、すこし休憩していた
部屋に入った際、小さい部屋に石川がいたと思う
その後、井上が渋谷ホームズに到着
その際、シャワーを浴びている人やズボンの裾を合わせている人がいた
林郁夫は初めはおらず、後から来た
だれかが迎えに行ったと思う
到着した井上は少し笑っていて、はしゃいでいた
そして、井上からペアの発表があった
自分は豊田とペアになった
8時に間に合うようにと指示があった

PM9~10時ころ、中目黒の下見と、恵比寿駅で待ち合わせ場所の確認をした
その後、渋谷ホームズへ戻った
井上から「杉本・北村・林泰男と信徒さんの車を取りに行って」と指示があった
車を取りに行って渋谷に戻ったのはPM11時くらい
休もうと思っていたが、林泰男に着信があり、「マンちゃんが戻って来いって言ってるんだよ」と林泰男がぼやいていた
また、誰かから「まだ車が足りていない。TMの車を借りてこい」と指示があったので、どうにかしてTMの車を取りに行って、戻った
渋谷ホームズに戻ったら、部屋がガランとしていた
残っていたのは、北村と新実だったと思う