3/11都庁爆発物事件(証人:中川智正)①

3/11都庁爆発物事件
証人:中川智正
(都合により午前のみの記録です)

3/22静岡の海の近くのビジネスホテル
そこから東海道で大阪へ
4/1井上から「東京で住まいを用意できる」と言われ、井上と会った
その後4/11まで川越のウィークリーマンションで生活
川越のメンバーは、林泰男、被告人、T・M、I・Y、端本悟、山形明
4/3英国大使館近くの一番町パークマンションで村井、上祐、土谷、遠藤と会った
その頃、土谷は化学兵器について、遠藤は生物兵器について言い逃れを考えるのに忙しくしていた
上祐「第七サティアンにどういうものがあったか?」
中川「すぐにサリンプラントがばれてしまうと思う」
上祐「そうか、もっと早く話を聞くべきだった」
村井「操作撹乱のため、事件を考えてほしい」
土谷「薬品処分のため、中川に行ってほしい」
この際村井から気化爆弾についての話があったと思う

どういう薬品を処分したのか?
サリンVXに関係したもの
青酸ナトリウム
蒸留器具
銃の部品等
完全に捨てたものと、日光に埋めたものがある
日光での作業は4/5と4/8の二度
この作業には約30人が関わっている
埋める作業を行ったのは20人程度
私、井上、林泰男、T・M、中村昇、端本悟、W・K、広瀬、豊田、被告人の顔も見たことがある
どのように埋めたか?
箱やビニール袋を被せた
何かあった時に取り出せる配慮をした

4/11頃 村井から、私と井上が青山総本部に呼ばれた
私は事件には関係ないことで、井上はクーデターを起こせと指示を受けた
井上「それは私に死ねということですか?」
村井「そこまでは言っていない」という会話があったと聞いた
青山から帰る途中、上祐に「教団の運命は君たちの働きにかかっている」と言われた

4/12 西荻窪の一軒家に主だった人が集まり、会議をした
メンバーは、私、井上、林泰男、豊田、広瀬、W・K、横山
被告人はいなかった
そこで、これからどのような事件を起こせるか話し合った
肥料爆弾
青酸ガス
→一番知識があった自分が提案した
気化爆弾は技術的に無理ということになった
ダイオキシンについては、遺伝毒性で直ちには死なない
子供や孫の代まで奇形が生まれるなどの認識だった
肥料爆弾とは、硝酸アンモニウムなど爆弾になる肥料を使うもの
青酸ガスは、毒性の高いガス
その後、温度計やビーカー、フラスコ、pH試験紙や鉛玉などを購入した

4/16井上が上九に行き、麻原の指示を確かめることになった
その会話の内容を4/18に以下の通り聞いた
麻原「お前はなにもしないなら帰ってこい」
井上「やります」
麻原「どうしてクーデターを起こさないんだ」
井上「自衛隊員をそういう風に育ててない」と誤魔化したらしい
麻原「4/30までにコンビナートが燃え上がるのを楽しみにしているよ」
麻原「豊田を使え。使い物にならない横山、広瀬、W・Kは帰ってこい」
単純な指示ではなく、楽しみにしてるよと言われると、弟子としてはやれと言われるよりつらかった
やるしかないと思った

4/18八王子ルミエールセゾンに私、井上、豊田、T・M、M・S(食事の世話をしてくれる女性)が集まった
豊田が、鉄板に穴を開けるにはどのくらいの爆薬が必要か調べたが、RDX等でもキログラム単位で必要だと分かった
コンビナートの知識も必要だが私たちにはない知識だった
肥料爆弾は硝酸アンモニウムがたくさん必要で、調達が難しい
ダイオキシンは狙って作るようなものではなく、出来てしまうものなので作るのは難しいと分かった
その後、菊池直子に依頼し、上九から薬品を持ち出してもらった
4/19-4/25の間に、爆薬の原料や硫酸を揃えた

4/23に村井刺殺事件が発生し、24日未明に亡くなった
その後、4/24or4/25にみんなで集まり起こせる事件を起こそうと決定
その場にいたのは、私、井上、豊田、林泰男、(T・Mもいたかもしれない)
被告人は明確にいなかった
出来ることからやろうという話になった
一番簡単な青酸ガス、その次に郵便物型爆発物の製造
井上「送りつけるのは青島知事がいい」
中川「青島には生きていてもらった方がいい」
青島知事の当選直後都市博覧会の撤回を訴えており、このまま撤回した方が都政が混乱すると考えた

小包型にするという決定は、この時点ではなかったかもしれない
私でも爆弾を作ることができるが、作るのに専門家がいた方がいいということになり、私か井上のどちらかが被告人の名前を出した
井上が被告人に連絡を取り、ルミエールセゾンに来るよう指示した
このやりとりの場面に他の人がいたかどうか分からない